上総の国分寺跡散歩 [散歩]
1月26日水曜日
国分寺・国分尼寺は天平13年、聖武天皇が国情不安を鎮撫するため各国に建立を命じた寺院ですが、上総の国の国分寺跡は全国でも規模が大きく良く整備されているので一度訪れようとも思っていたがやっと歩くことが出来た。
市原市役所を挟み右上が国分尼寺、左下が国分寺跡です。
国分尼寺の跡に中門と回廊が復元されています。
此方は国分寺跡の七重塔の芯柱の礎石だそうです。
この塔を復元すると現在の市役所より高い建物になるそうです。
人々がまだ竪穴住居に住んでいた時代に・・・
2011-01-28 12:44
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コメント(6)
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播磨の国の国分寺は長閑な田園地帯(姫路市の東端:御着)にあって、黒田官兵衛の居城と重なる場所で、福岡と共にNHK大河ドラマに・・との動きがあります。
by OJJ (2011-01-28 21:50)
大きなお寺だったんですね。
七重の塔も壮大な立派なものだったんですね。復元できると面白いですが、かなりお金がかかりそうです。 ^^;
by moz (2011-01-29 06:38)
8世紀の話ですかね。
そのころに戻って山を歩いたらどんなになっているんでしょ。
by かいわれ (2011-01-29 18:40)
付近には古墳もある高台・・・
権力者の夢の跡でもある地だったことでしょう!
by an-kazu (2011-01-30 09:34)
OJJ 様
播磨の国の国分寺は黒田官兵衛の活躍していた当時も重要な所で繁栄していたのでしょうか?
上総の国分寺は現在は京葉工業地帯と共に再度繁栄、市役所等も出来住宅地になっていますがその間は田畑や山林になっていた雰囲気です。
moz 様
七重塔は残っている礎石の間隔から推測して相輪を含めて60m前後の高さであったと考えられているそうです。
復元の話しは現在一部復元されている尼寺の回廊もあまりこれ以上の予定は無いような話しでしたのでお金がかかりすぎるのでしょうね。
かいわれ 様
聖武天皇が詔を発したのが天平13年(741年)ですね。
国分寺や国分尼寺は壮大だったようですが、何しろ一般人は竪穴住居の時代ですからね~
只、山には焚き木・狩猟や果実、山菜を得る為現在以上に利用するため入っていたのではないかと思いますが・・・
an-kazu 様
確かにいかに立派な建築物を建てたとしても強引な一般民衆の税金と労働で出来たものですから・・・結局夢の跡にしか過ぎないのでしょう。
by takaki-i (2011-01-31 20:07)
7重塔、復元されたら・・・ 私はそんな夢があってもいいと思います。
でも横に無粋な市役所の建物があってはNG。 また血税ではNG。
by Jetstream777 (2011-02-04 13:26)