袖ヶ浦 鎌倉街道から京葉コンビナートを行く [自転車]
8月2日土曜日
今日は、隣の市、袖ヶ浦市を一周してみた。
10:30自宅を出る。
何時もの鎌足の道から行く。
この辺りは矢那栗の名所で栗の木にはまだ小さいが栗が沢山実を付けているのが見られる。
11:50久留里線の東横田近くの踏み切りをわたる。
この辺りは昔は「横田郷」と呼ばれたいた所で、上総の辺りの田んぼは「谷津田」と飛ばれる、谷の様な所に棚田のイメージが強いが、広い平地に小櫃川の水を引いた比較的広大な四角く整備された豊かな田んぼが広がっている。
12:20 永地の近くでこんなお地蔵様が有りました。
市指定文化財「永地銅造地蔵菩薩坐像」
像高1.2m蓮華座を含めると2m。享保20年(1735年)10月7日開眼。
地蔵とは仏教で言う菩薩の一つであり、末法思想の盛んだった平安時代中期以後から貴族の間で信仰され、中世になると左手に財宝を得るという宝珠と右手に善心を起こすという意味の錫杖を持つ姿になっている。
民衆の間に広く信仰されていったのは今日伝えられている伝説の中に、地蔵は子供に身を変え、苦難を救ってくれたと云う話が多いように子供の救済者としての信仰が普及した。
というような袖ヶ浦市教育委員会の看板がありました。
永地からひらおかの里を過ぎた勝の辺りで突然
ウルトラマンが出現!
スックと立ったその像はどうやら石材店の看板のでした・・・
13:05 袖ヶ浦公園
ここは何時も四季折々美しい花が咲き、池では水鳥が遊ぶ財政豊かな袖ヶ浦市らしい立派な公園です。袖ヶ浦の郷土博物館で休憩を兼ねて見学。
袖ヶ浦の鎌倉街道は梨沢の廃道になりかけた山道と違いダンプも行きかういかにも房総の丘陵地帯の田んぼの中の道ででした・・・
13:55 袖ヶ浦の鎌倉街道には標柱が立てられこんな看板が有りました。
鎌倉街道
鎌倉幕府があったころ、御家人や商人が鎌倉と行き来するための道路が鎌倉を中心に整備されました。袖ケ浦市内には「鎌倉街道」という地名や源頼朝にまつわる伝説などが残されています。
鎌倉街道というと「いざ、鎌倉」という非常事態にそなえて鎌倉時代に整備された道であるかのように考えられがちですが、袖ケ浦周辺の鎌倉街道を探ると、古代からの道が利用されていたことがわかっています。
この今に残る地名や頼朝伝説が残っている場所をつなぎ合わせていくと、現在でも道路となっているルートに一致します。このルートは木更津市から市原市に向かうもので、袖ケ浦市内を横断しています。
袖ケ浦市内では、飯富(いいとみ)→下新田(しもにった)→三ツ作(みつさく)→野田・大曽根→下泉→上泉→川原井を通って、市原市の立野へと続くものです。
いまでも通称「鎌倉道」とよばれています。この道を歩くと、周辺の自然環境なども往時を偲ばせるものがあり、ふと中世に迷い込んだような雰囲気を味わうことができます。
このルートのうち、袖ケ浦市三ッ作から市原市立野までの区間は、文化庁選定の「歴史の道百選」に選ばれ、「鎌倉街道ー上総道」として知られています。
しかし何も日差しをさえぎるものが無く、時々ダンプが脇を通るようなり、退散したくなりました。
そこで、ゴルフ場銀座の八幡カントリ、姉ヶ崎カントリの横を通り、15:00 有秋台けやきと通りへ姉ヶ崎から平成通りに出る辺りで遅い昼食。暑さに負けてついでに生ビールを飲んで少し身体がだるくなりました。
16:00 平成通りから京葉コンビナートの国号16号線通称50m道路の湾岸と通りに出る。
16:30 京葉コンビナートの袖ヶ浦港この辺りは化学工場、東京電力、東京ガスなどがあります。
16:50 袖ヶ浦海浜公園
ここは、潮風が心地よく吹いてゆゅくり休憩しながらまわりました。
18:20 木更津港の中ノ島大橋を通る頃は少し陽も傾き始めていました。
19:00 自宅着 合計行動時間=8時間30分いい汗かきました。
こんにちは!
袖ヶ浦、ジェフの練習を見に行くときに通るんですが、
満喫したことなかったです。
いいとこなんですね~
ウルトラマン、ナマで見たい!!
by nylon (2008-08-14 15:41)