田植え準備 [米作り]
4月23日
農家の2大イベント田植えはGWに孫夫婦が帰ってきて行うとの事で久しぶりに田植え準備に昨日、今日行きました。
米作りで田んぼの水張りはジイさんが徹夜をやったりして完了しています。
田植え前に元肥を散布する必要があります。
でもその前にもう一度草刈り。
ジイさんはトラクターで代掻きです。
日本人を食料危機から救う為、お米を作る正義の田んぼ。
その田んぼ侵略する悪意の軍団・・・そう雑草軍団、彼らは驚くべき速さで僅か2ヶ月も経たないうちに驚くべき速さで勢力を広げつつある。
彼等は正義の草刈り請負人により、ほんのこの前、首切りの刑に処され、尚且つ火あぶりの刑に処されたのに。
驚くべき生命力で地下から顔をだし驚くべきスピードで勢力を広げる・・・。
彼らは綺麗な花等を所々配置し草刈り機から逃れようとするが容赦しない。
蛇や青ガエル等も配備するが容赦しない。
しかし、彼らは素人の草刈り人請負人からは安易に逃げ出していく・・・。
な~んて、イチローの様に自分自身で実況中継しながら草刈りに没頭。
初夏に暖かさと日差し・・・首筋と二の腕が日焼けでヒリヒリします。
心地よい疲れで帰ってからの晩酌のビールの旨いこと!!!
畦塗り [米作り]
3月13日金曜日→→
草刈りが大体終わったので、畦塗りをする前に今日はジイさんと刈っておいた草を燃やしました。
昨日晴れたのと風が強かったせいか、炎は時々勢いよく上がります。
夕刻、今日は援軍が現れました。
近辺で手広く田んぼをやっている人が畦塗り機で畦塗りの応援に来たのです。
あぜ塗りの目的は、田んぼからの水漏れを防止する。だんだん削れて細くなるあぜ道を補修する。今生えている雑草を処理する等などの目的で行われる。
トラクターの後方に「あぜ塗り機」を装着しています。今はこういうのがあるのですね。
こいつが、耕し・回転し・固め・きれいに畦を作り上げて行きます。
さすが、機械早いです。
20枚近い田んぼも1日で終わるとか・・・
しかし、ジイさんの意向は本当は少し畦をトラクターで削りその後畦塗りをしたかったようです。なぜならいきなり畦塗り機をすると少し田んぼが小さくなっていくから。(だんだん削れて細くなるあぜ道を補修の裏返し)
ジイさんの所にも畦塗り機は有るとの事。
高齢のジイさんを気遣った娘さんの処置。
或いはジイさんより娘の方が既に権力を握っている。他には強いジイさんも、老いては子に従え・・・か?
今日は1枚だけ実施。雨上がりの方が良いとの事で残りは次回に・・・
今日の花。
白い遅咲きの水仙
春が来た [米作り]
3月9日月曜日
今年5回目、まだやってるの・・・いう感じだが、今日で草刈りの目処がつきそうなので出かけ半日草刈り。
今日は曇り空だけど暖かです。
これは、クローバの中に咲くタンポポ。
道端で今年初めて土筆を見つけた。
春が来たよ~~~
草刈り-Ⅳ [米作り]
3月2日月曜日
このところ梅雨のように雨ばかりの日々、今日は久しぶりによく晴れた。
山歩きか、チャリでボタリングでもしたいところだが一旦引き受けた以上、貴重な晴れ間。
今日は仕方なくと云う感じで草刈りに行く。草刈りだけでもう4日目だ。
加茂川の堤防上には梅や椿が咲いて気分を慰めてくれる。あぜ道の花も・・・
17時今日の作業も終わり。峰岡の山に日もやっと沈もうとしている、随分日の沈むのも遅くなりました。
日が落ちてからも18時ごろまでまだまだ今日は明るかった。
主其斎田 [米作り]
2月26日木曜日
草刈3回目を実施。今頃草刈をするのは普通で無く93歳のお爺ちゃんが昨年出来なくて伸び放題になっているからです。
長狭街道は太平洋側の鴨川から東京湾の保田まで房総半島を横断しています。主其交差点(suki sross)が鴨川よりにありその近くに主基斎田跡公園がある。
田んぼにはすでに水を張り始めている所もあり、トラクターの左の樹木のある所が主其斎田跡公園。
恥を晒すようですが、私はここ主其は地名で天皇にお米を献上した、言わば皇室御用達のお米の生産地の誇りの場所だと思っていたのですが少し違うようです。
公園と言っても遊具があるわけでなく、樹木と記念碑があるだけの場所です。
中央の石柱の表裏
ここの看板にも由来がかかれていますが、鴨川市のHPの説明が最も分かり易いのでそのまま載せます。
主基斎田(すきさいでん)は、明治天皇の即位後最初の新嘗祭(にいなめさい)※1である大嘗祭(だいじょうさい)※2に斎田として選ばれた場所です。大嘗祭に用いられる新穀は卜定(ぼくじょう)※3された悠紀(由基)と主基(次)※4の2ヶ所の斎田から献上されます。明治4年の大嘗祭では、悠紀斎田が甲斐国巨摩郡に、主基斎田は安房国長狭郡北小町村字仲ノ坪の6反歩(約60㌃)に卜定されました。
村では斎田の周囲には青竹を立てて、しめ縄を張り、垣をめぐらせて厳重に囲いました。また、隣地には八神殿、稲実殿などを設け、番屋で花房藩の役人が警備しました。大嘗祭に先立ち神祇省(じんぎしょう)から抜穂使(ぬきほのつかい)ら8人が多くの従者を伴って訪れ、抜穂式(ぬきほしき)は厳かに行われました。
この周辺の地名は、明治22年に北小町村を含む5ヶ村の合併の際に大嘗祭にちなみ由基村とされ、大正4年に主基村と改称されました。現在はその栄誉を記念して碑が建立され、主基斎田址公園として整備されています。
※1 毎年宮中で行われる収穫を感謝する祭事
※2 即位後最初の新嘗祭を特に大嘗祭という
※3 骨を焼いてできたひびによって占い定めること
※4 悠紀斎田と主基斎田は大嘗祭ごとに全国から選定された田を指します。悠紀は
聖域、主基は副の意とする説が強いとされます。
明治天皇以降と斎田の場所
天皇 大嘗祭 悠紀 主基
○明治天皇 明治4年(1871) 甲斐国 安房国
○大正天皇 大正4年(1915) 愛知県 香川県
○昭和天皇 昭和3年(1928) 滋賀県 福岡県
○今生天皇 平成2年(1990) 秋田県 大分県
まあ、とはいっても皇室御用達のお米じゃん・・・・
お米の形をしたこんな記念碑もありました。
長狭米 日本の米づくり100選
平成3年2月18日選定
と記されたいます。
記念碑の横で咲いていた、白い椿が印象的でした。
米作り 今年最初に作業 [米作り]
2月18日水曜日
今年から米作りを一から行うことを決め最初の作業。
と、言っても草刈です。相棒は元気と言っても93歳さすがに草刈機を振り回すのは無理。土手は草ぼうぼう・・・
ところで相棒は90歳と聞いていたのですが93歳と判明。なんと今年13回忌を迎える亡くなった父と同じ大正5年生まれ。
いい年こいた息子が父に教わりながらの米つくりに挑む様なものです。
ついでに呆けない年のとり方等もご教授戴きました。
1.なにか役につく。自分の為だけでなく、人のためになることをする。
(軍人会とか伊勢神宮の千葉県総代とか「元気で健康」鴨川老人会設立とかいろいろやってるらしい)
2.あの人はいい年だからいいよ、とか言うのはだめ。責任を持って何でもさせる(する)。等々・・・
草刈後。私が買ったものを相棒がかき集め燃やして綺麗になりました。でも・・・・ほんの一部。草刈だけでも大分かかりそう。
精米・納入 [米作り]
明けましておめでとうございます。
何時ものように年末年始は飲んで食ってダラダラと過ごす。
この年末年始は房総もやっと正しい冬型の気圧配置となり晴天が続いて居ります。
孫達と遊んでいると元旦の夕暮れに三日月と宵の明星が並び・・・
天候だけは穏やかだった昨年の様に、元日の空は夕焼けに染まりました。
1月4日日曜日
今年のカテゴリーに「米作り」を追加しその記事からスタートです。
昨夏の草刈りから始まり、90歳超の相棒と稲刈り、精米と終わって居ました。
今年の2月から草刈り、田お越しを始めるとの事で今は体力作り・・・
しかし、せっかく作ったお米がチュウコウ(鼠)の体力作り(餌)になっているとの話。
私をこの世界に引きづり込んだ営業部長のオバさんの販売活動が実りホテルの売り込みに成功。
本日精米納入しました。
ところで皆さんの街の郊外にもこのようなコイン精米機がありますか?
農家の人は他の農機具は大概各自に家で持っているようですが、何故この様な精米機があちこちにあるのでしょう?
ここは、コイン精米機が2台並び30Kgの袋6個を精米する為2台とも独占して使用していると軽トラに車を積んだ農家の人と思われるおじさんが来たが文句も言わずおとなしく待っていてくれました。
稲刈り・玄米の出来るまで・・・ [米作り]
9月27日土曜日
8月の終わりに草刈から始めた稲刈りもいよいよ最後の田んぼ1枚との事。
始めた頃はまだまだ暑い時期でいやと云うほど汗をかきかましたが、今日当たりは涼しく気持ちよい農作業日和です。
私が刈った後の畦道には真っ赤な彼岸花が咲き乱れています。
そして実りの秋。長狭の秋祭りが始まっています・・・
今日刈る田んぼは、一番下の田んぼとの事で上部からの水が完全に止まらず、泥沼状態。
コンバインが入ったとたん泥沼に埋まりたちまち身動き出来なくなります。
トラクターを持ってきてとりあえず引っ張り出し・・・
再度排水の溝作りと刈れる所は手狩りしましたが。一寸深みに嵌ると長靴が埋まりどうにもならなくなり悪戦苦闘。
そんなこんなでとても機械の能力に素人の私ではとても太刀打ちで出来ず、午後から籾摺りに変更。
ところで、稲刈りと一言云っても農家の人には常識でも全く素人の私には初めてで、知りえた玄米の出来るまで・・・
①キャタビラーの付いたコンバインで刈り取り脱穀までしてしまう。
(こいつはとても能力のとても高い奴で、こいつの刈り残しや刈れない倒れた稲を立ててやったりすると人間は疲れ果ててしまう)
②コンバインより軽トラに積載のコンテナに入れ運ぶ。
(軽トラは四駆で少々の荒地や坂道でも稲を満載しても平気。コンテナも電動の排出機付き)
③コンテナから排出された稲をホースで乾燥機に入れ乾燥させる。
(乾燥機は水分計つき・・・・
④籾摺り機を通し玄米と籾殻に分ける。
(籾殻は袋詰めの機械があり、袋詰めする。これが私の籾摺りの主な仕事。ここも機械の能力はすごく人間は結構忙しい・・・)
⑤籾摺り機から出た玄米は米選機にかけられ30Kgづつ袋詰めする。
左の建物の中に籾摺り機等がありパイプを通って籾殻がホッパーの下にセットされたビニール袋に溜まる
相棒は90歳 [米作り]
9月11日木曜日
稲刈りの応援を始めて6日目。相棒は90歳。
トラクラーを運転して颯爽とやってくるこのサングラスのおじさん歳は90。
腰は少し曲がっているけどすこぶる元気である。
私が2日ほど来れないで来た日
「2日程徹夜で作業した、流石にまいって死ぬときはこんなんかな~と思った」
と、抜かしやがる おいおいやめてくれ・・・
私の、主な仕事はトラクターが作業できるように田んぼ四隅の手狩り。
倒れてトラクターで刈れなかった稲の手狩り。軽トラの運転等の単純軽作業である。
この、2~3日それまでの蒸暑さが、急に初秋の秋模様になったがそれでも慣れない作業結構疲れる。
私が、喉が渇き持参のペットボトルを2殻本空けるがこのおじさんは飲まない。
どうです。この雄姿。かっこいいでしょう・・・
本日刈った田んぼ、夕暮れて本日の作業終了。
この、2日間かなり作業ははかどったと思われるがこの辺りでは一番遅れてるとの事。
又、一寸来れないが無地終わるのか・・・
稲刈り(初めての本格草刈) [米作り]
8月30日後(今朝方までの集中豪雨でどうなるものかと思っていたが晴れになりました)
ひょんなことから稲刈りをすることになりました。
場所は千葉では長狭米ブランドで美味しいとで知られた鴨川の長狭街道の所です。
私の知り合いのおばさんの友人の旦那が亡くなり奥さんも足が悪く90歳になるおじいさんがやっていたが、高齢には勝てず誰か手伝ってくれる人をと云う事でまるで今日の日本の農業問題(食の問題?)の典型のような話です。
とはいっても、サラリーマンの私は米作りは日本の棚田100選の大山千枚田のオーナー制度で2年程観光気分の米作りの実績がある程度で本格的な事はやった事が有りません。
処で今日の仕事は、稲刈り前の畦の草刈です。
丸きり素人の私は、草刈機一つ使ったことがありません。知り合いのおばさんの旦那が先生の予定でしたが高熱が出て来れないとの事で、たまたま嫁に行った娘さんがお産で里帰りしていてその方に急遽先生をお願いして一日何とか草刈をしました。
たかが草刈ですけど私には結構面白い体験です。
しかし、なれない筋肉を使うのはやはり大変です。
帰りの車で、足や腕の筋肉が吊りそうになるのです。
心配してくれた農家のおばさんに「大丈夫明日も来ますよ」、と約束したが本当に大丈夫かな~